「いらない命」をめぐる思い

あたたかいご支援ありがとうございます。

Amazonの「アニサポほしいものリスト」を利用してのご支援、たくさんいただいております。ずっと以前からの里親様から「後輩」の保護犬たちへ・・・、アニサポの活動していない遠くの地域の方から・・・、また何度のご支援いただいていてお名前も覚えてしまうほど、なのに一度のお会いする機会のない方・・・皆様、ありがとうございます。

 

 

こういった優しい方に囲まれて活動できることに、感謝しております。

 

 

 

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さて表題です。

保健所に入った犬猫が、当たり前のように次々処分されていた時代、

犬猫たちには過失がなくても、たった一度、保健所につかまってしまったとたん、不要な生き物となり、処分、つまり死刑、つまり抹殺されていた命。処分する費用は生かしていくより安いですからね。

それを、「まぁ、可愛そうだけどさ、仕方がないよね…だってねぇ・・・」と放置されていた時代がありました。

生かして何とかするとかえって、コストがかかり、面倒も多く、無駄になるので、社会的にもそのほうが、楽。犬猫だって、飼い主もわからないんだし、保健所にいるより、まぁ、さっさと死んで生まれ変わったほうがいいんじゃないか?とさえ思われていた・・・のかもしれません。

 

平成の時代ももう20年以上経ち、さっ処分ゼロは、まだ限られた地域、限られた保健所の管轄内、の話ではありますが、今は、多くのボランティアとその支援者の方々によって保護活動は認知され、一度保健所に入った犬猫の「里親になる」ことが、とっても身近なことになり、行政の仕組みもずいぶん変わっております。結果的に処分数は、年々、減っております。

里親さんや、ボランティアは、面倒なこと、コストがかかる事、無駄になるかもしれない(保護しても様々な理由で譲渡できないかもしれない)ことを承知で引き受けています。

それに生きがいを感じたり、楽しみ喜びさえ見出しています…

 

アニサポもそんなボラグループの一つです。

 

 

 

今世間のニュースで報道されている痛ましい事件、

何人ものハンディのある方が命を奪われたこと。

この犯人の主張「不幸で無駄なお金のかかる命を抹殺してやった」という趣旨がとても極端で、恐ろしいことと言われますが、

あ、これって、ちょっと昔の犬猫たちへの考え方と全く一緒じゃん。と思いました。

つい数年前、私たちの身近な日常の中で、こんなことが当たり前のように感じられていたのです。

人の命と犬猫の命とを、同列に扱う失礼をどうぞお許しください。

 

本人にはどうしようもない事情で、ハンディを背負って生まれた人は、いらない命なんでしょうか?コストもかかる、周りの人の手も借りなきゃいけない、それって、無駄なんでしょうか?

 

本人(犬猫)にはどうしようもない事情で、保健所に入ってしまった犬猫は、いらない命なんでしょうか?生かしておくにはコストもかかる、人の手間もかかる。それって無駄なんでしょうか?

 

その命が生きていることで、

新しい物語が生まれ、人々は色々なことを感じます。

一緒に生きていくから、たとえコトバは通じなくても、

分かり合えることがあるんですよね。

コトバを持たない子たちからさえ、私たちは多くのことを感じます。

犬猫と暮らした経験のある方なら、必ずわかっていただける、この感性を大切にして、

いらない命はないということを、強く思いかえしたいと思います。